嗣永桃子写真集「momo」を見て

今日は嗣永桃子初のソロ写真集「momo」の発売日。私も早速1冊購入した。
ワニブックスのサイトの宣伝文から、中川翔子ふうの気持ち悪い世界に
なってなきゃいいけどなあと心配していたが、それは杞憂であった。
開けてみれば、良くも悪くも普通の、よくある感じのアイドル写真集であった。
と言ってもそれは、嗣永桃子がよくいるアイドルであるということを意味しない。
むしろ、普通の作りが却って嗣永桃子の特異性を浮き彫りにしていると言える。
この写真集が証明しているのは、桃子の最大の魅力がその透明感にあることだ。
透明感と聞いてぱっと思い浮かぶのは往年の安藤希だが、桃子の透明感は、
のんちゃんの高級ミネラルウォーター的な透明感とは明らかに異なる感触をもつ。
それは桃子が、安藤希と違って、本質的にコケティッシュだからである。
他人の歓心を買うため進んで自分を偽るコケットリーは不透明感を生む。
にもかかわらず、というか、そうであるからこそ、コケットリーと透明感という、
通常は相容れない要素を高いレベルで両立させている点に、
嗣永桃子の特殊な個性と稀有な魅力があると言える。
そのことを、この写真集は改めて私たちに思い知らせてくれる。
問題は、この稀な両立が写真集というメディアにおいてのみ可能なことだ。
私自身は昨年夏のベリフェス以来桃子を間近で見ていないので、
断言はできないが、多くの桃子ヲタおよびベリヲタは、今の実物の桃子より
この写真集の中の桃子の方が可愛いと感じるのではないだろうか。
それは別に不思議ではない。ライブやFCイベントといった苛酷な肉体労働の現場で
コケットリーと透明感を両立させることなど誰にも出来っこないのだから。
その意味でこの写真集は、桃子ファンにある選択を迫る事件と言えるかも知れない。
私の好みだけで言えば、桃子のコケットリーは、単にウザいだけである。
一方、桃子の透明感は、とても貴重なものと思える。
つまり私自身もそれなりに選択を迫られてはいるわけなのだが、
もうすぐヲタを引退するのでまじめに考えなくてもいいのが救いである。
とりあえず、嗣永桃子はまだまだかわいい、と結論しておこう。
もとすきがヲタ生活の最後に買う写真集は、少なくとも理論上は、
鈴木愛理写真集であった方が良かったと言えるだろう。
しかし実際には、嗣永桃子写真集が最後で良かったのである。
女の子の透明感への敬意を持ったまま一般人に戻れるのだから。
・・・実際に戻れるかどうかは別として(笑)