サイデンステッカーさんの思い出

エドワード・サイデンステッカーさんが亡くなられた。
ドナルド・キーン氏と並ぶ日本文学英訳者の大御所として
長年活躍されてきたサイデンさんの訃報を聞くのは寂しかった。
翻訳者として一応名前は知っているという程度だった私に、
サイデンさんの素晴らしさを教えてくれたのは、私のかつての上司、
バーリット・セービンさんであった。「彼は翻訳家としてだけでなく
文筆家としても大変優れた人ですよ」と言って、「東京 下町・山の手」
という本を読むように勧めてくれた。読んでみると、本当に良い本だった。
それを機にサイデンさんの他の本もちょこちょこ読むようになった。
読んでわかったサイデンさんの魅力は、その率直な物言いである。
例えば、「近代日本文学は非常に素晴らしい」と語る一方で、
素晴らしかったのは川端康成三島由紀夫までとはっきり言う。
その三島についても、小説家としてよりも批評家としてのほうが
遥かに優れていると明言してらした。最初に読んだときは「えー」と
思ったが、その後三島の批評を読む機会が増えるにつれて、
私もサイデンさんと同じ意見に傾きつつある。そんなこともあって、
高まる敬意に背中を押されるようにして、一昨年、サイデンさんの
講演録の転載を依頼したことがあった。図々しくも「できれば無料で」
と依頼の手紙に書いたせいか、返事はこなかった。サイデンさんは東京の下町、
根津にお住まいだったが、晩年は寒さを嫌って冬の間だけハワイで過ごされていた。
その頃はちょうど1月の寒い時期だったため、編集長の命令で、
私はハワイのサイデンさんの家に電話をかけることになった。
心臓をドキドキさせ、つながらなきゃいいなあと思いながらかけると、
すぐにつながってしまった。もはや逃げられんと覚悟し、
「サイデンステッカーさんはいらっしゃいますか」と英語で尋ねると、
どことなく警戒するような低い声で「This is he.」との返事。
しどろもどろな英語で「先日転載許可をお願いした○○ですが…」と
話しだすと、なんとも意外な展開が待っていた。
「ああ、○○さん。手紙読みました。いいですよ。お金は要りません」と、
妙に明るい口調の日本語で返事が返ってきたのだ。私は突然の変調に驚きつつ、
それ以上に喜び興奮しながら、たぶん必要以上に礼を述べて電話を切った。
結局、転載は無事に行われた。出来た雑誌を根津のご自宅まで
持参しようかとも思ったが、遠慮が先に立ち、郵送で済ませてしまったことが
今更ながら悔やまれる。サイデンさんの人柄については、偏屈とか
変わり者という風評もあるようだが、気さくな一面もあったのではないか。
あの電話口の弾むような声を思い出すとき、私にはそう思える。合掌。