制服向上委員会再始動への期待と不安

今日、制服向上委員会の事務所から残暑見舞いのハガキが来た。
絵柄は今売りのUTBの表紙裏広告と同じ。ハガキの下の方に、

残暑お見舞い申し上げます。
「新しい私たち、新しい13名のSkiです。」

というメッセージが記されていた。ああ、13人なんだ。
じゃあちゃんとSkiになるかもな、と私は思った。そう、
再始動するからには、ちゃんとやってもらいたいのである。


制服向上委員会は、3つの点で先駆的なアイドルグループだった。
第1に、制服アイドルとして。伊藤つかさとか斉藤由貴とか、
制服を売り物にしたアイドルはそれまでにもいたが、多人数の
グループで全員制服というのは新しかった。制服の魅力の本質が
集団性と清潔感にあることを踏まえ、「清く正しく美しく」という
コンセプトを軸に活動を展開したのも一つのイノベーションであった。
以後、初期のモーニング娘。からAKBを経て私立恵比寿中学まで、
制服ユニットの伝統が脈々と受け継がれてきたのは周知の事実である。
第2に、グッズアイドルとして。それまでのアイドルが基本的にCDを
売ることを主目的としていたのに対し、Skiはオリジナルビデオや
写真をはじめ、多種多様なグッズを売ることで利益を上げるビジネス
モデルを確立した。とくに2ショット写真の商品化は画期的だった。
第3に、おそらくこれが最も重要な点だと思うが、制服向上委員会は、
コミュニケーションアイドルの先駆けであった。それまでのアイドルが
基本的にビジュアルやパフォーマンスを売っていたのに対して、Skiは
それらに加えて、ファンとのコミュニケーションを売り物にした。
定例ライブの他に、メンバーの誕生日会、泊まりの旅行、運動会、
撮影会、お話し会などなど実に多様なFCイベントが毎週のように行われ、
メンバーとファンとの生ぬるいコミュニケーションの場を提供した。
今でこそアイドルがコミュニケーションを売るのは当たり前になったが、
当時は斬新な手法であった。多くのヲタが喜んで引っかかった。


私が制服向上委員会のファンだったのは、1993年の5月から
2001年5月までの8年間である。イベントに即して言えば、
日比谷公園小音楽堂でのライブから、古賀美雪ちゃんの卒業まで。
年齢で言うと28歳から36歳。いわゆるヲタ盛りの時期であった。
ライブでは、文字通り熱狂的に盛り上がることも珍しくなかったし、
コミュニケーション系のイベントにも結構マメに参加した。また、
若かったので、恥ずかしいこともした。敏腕ストーカーのK城さんから
もらった情報をもとに、メンバーの家を見に行くのは日常茶飯事。
メンバーの実家が経営する中華料理店にご飯を食べに行くのも普通の
ことだった (先方も歓迎してくれた)。さらに、留守中のメンバーの家に
侵入して郵便受けの中を探ったり、推しメンの通う高校の卒業式に、
父兄を装って参加したこともあった。式典のあと本物の保護者に混じって
教室まで入って行ったら、その推しのコに見つかって死ぬほどアセったのも事実。
とはいえ、もちろん、骨の髄から品行方正なこの私が、自分の意思で
そんな悪事を働くワケはない。すべては、「悪の帝王」と呼ばれた
現役Skiヲタ兼女子流ヲタ、前田先輩の命令だったことは言うまでもない。(納得)


で、そのSkiが4年振りに活動を再開する。私の期待はただひとつ。
またあの素晴らしいステージを見せて欲しい。それだけである。
あの洗練された楽曲と振付、かわいい歌とダンスをまた楽しみたい。
今更コミュニケーションには期待しません。もちろん、自宅訪問や
手紙の返事や、電話でデートや、文化祭への潜入にも期待しません。
新規のピンチケくんと古参ヲタ、そして私のような出戻りがとくに
摩擦なく共存するThe DOORSの客席の、その一番後ろのエリアで、
全盛期には及ばないにせよ、まずまず悪くないパフォーマンスを見たい。
そして、やっぱりSkiっていいなぁ、と思いたい。それだけである。
だが、そんなささやかな期待の前に立ちはだかる高い壁も存在する。
それは、AKB & SKEの握手会だ。Skiの復活祭が行われる9月20日は、
劇場盤握手会の日でもあるのは、もはや誰も否定できない事実。そして、
私の手には、某AKBメンバーとの握手券が2枚だけあるのもまた事実。
2部だけ参加して3部を捨てれば、ハシゴできないこともなさそうだけど、
果たして幕張から初台へ移動する機動力が今の自分にあるのかと考えると、
とうてい楽観はできない。夢にまで見た○○ちゃんとの握手を捨てるのか、
そこまでの犠牲を払ってまで見に行くだけの価値が新生Skiにあるのか。
不安は尽きないが、とりあえず復活祭のチケットは事前に買っておこう。
きっと小川杏奈ちゃんもそれを望んでいるはず・・・ないか(笑)