Perfumeのブレイクが示唆する2つの前向きな変化

今日はPerfumeの2ndアルバム「GAME」の発売日。
改めてリリースおめでとうございます☆
すでにネットでは絶讃の声が渦巻いているようだが、これだけ
完成度が高い以上それも当然だろう。残念ながら私自身は、
昨日書いた理由で絶讃祭りには参加できませんが、このアルバムが
各方面で絶讃されていることは嬉しい。それは、Perfumeの成功が
アイドルシーンにおける好ましい潮流の変化を象徴しているからだ。
変化の一つは、音楽性重視への移行である。今更言うまでもなく、
Perfumeのブレイクはほぼ100%、良い楽曲によって実現された。
ハロプロ系アイドルの楽曲が全面崩壊状態となっていくに連れて、
アイドルシーンはキャラクター性重視の色合いを濃くしていき、
AKB48も、「会いに行けるアイドル」というコンセプトが示すように、
基本的にはアイドルのキャラクターに依存した企画であった。
公平を期すために言えば、AKBも決して楽曲を軽視している訳ではない。
しかし、おそらく戦略的にであろうが、レパートリーの範囲を
80年代風アイドルポップスにほぼ限定しているため、楽曲の浸透力も
限られてしまっている。これに対してPerfumeは、メンバーの
キャラよりも楽曲を前面に押し出したことで高い浸透力を持ち得た。
この点は、私のような楽曲重視の人間にはとくに嬉しいことである。
もう一つの変化は、新しさ重視への移行である。
アイドルに限らずオタクカルチャーの至上価値は「面白さ」である。
この面白さは、実際には、外部性の幻想の上に成り立っている。
つまり、一般社会とは別の空間に一般市民の知らない面白いものがある、
という幻想。実はこの幻想はいつの世もある程度までは真実であり、
基本的にはいつの世も100%幻想とは言えないが、ネットとリアルの
融合が進み、オタク文化の底の浅さを誰もが知るようになった今では、
事実上単なる幻想と化したと見なす方が適切だろう。そしてこれは今に
始まった事態ではない。思想史的に言えば、すでに構造主義の段階で
実在的な外部性は否定されている。それを踏まえて、ロラン・バルト
「もはや前方への逃走しかない」と言い切ったのであった。
インターネットが一時的に外部空間の幻想を生み出しはしたものの、
その幻想が崩壊すれば、時間的な外部性、すなわち新しさが復権するのは、
ある意味で自明のことである。Perfumeが楽曲の新しさゆえに支持されて
いることは、この自明の原則に私たちが回帰しつつあることを示唆している。
キャラクターから音楽へ。面白さから新しさへ。
この2つの流れの変化がどこまでリアルで、どこまで私の妄想なのか、
それはまだ分からない。しかし、私自身はすでに変化を体感している。
願わくば、Perfumeが切り開いた、あるいは今なお切り開きつつある
新たな地平に、全く新しいスターが登場して欲しい。
たとえそれが、まなみのりさMary Angelであったとしても。納得。