平家物語(新潮日本古典集成版)を読んで

今日は朝から雨。天気が良ければキャナァーリ倶楽部のイベントへ行く
予定だったけど、雨なのであっさり断念してしまった。根本さんが
見に行ったらしいのは悔しいが、ここは致し方なし。もし今日の昼の
チームBが当たってたら、雨でも行ってただろう。そう思うと、今回は
ハズレて良かったと言えるかも知れない。非常に結果論ですが。
神保町の古本まつりも行けないので、今日は家で平家物語を読んだ。
ここ数年、秋の恒例行事となった観のある平家物語通読。
今までの2回は岩波文庫版だったので、今年は新潮日本古典集成で
読んでみた。新潮日本古典集成の平家物語は、建礼門院の回想(灌頂巻)で
物語が終わる岩波や小学館版と違って、平家が断絶したところで終わる
百二十句本を底本として採用している。あの建礼門院後白河法皇
長ったらしいお涙頂戴劇があまり好きでない私は、断絶平家でスパッと
終わる点により大きな感動を期待していたのですが、結果的には、
そこはさほど感動的ではなかった。また全体的に、岩波文庫版と比べて
微妙に文学性の点で劣る感じがした。現代語訳もイマイチであった。
ただ、注釈には興味深いものもいくつかあった。なかでも、あの有名な
平忠度藤原俊成の別れのエピソードに関する注解は心に残った。
平家都落ちの途中、忠度が和歌の師である俊成の屋敷を訪れ、「戦乱の中でも
和歌の道をおろそかにしたつもりはございません。いずれ勅撰和歌集
お作りになるときは拙作を一首なりともお選びいただければ」と言って、
自分で選んだ自作の和歌百首ほどが書かれた巻物を俊成に渡すと、
俊成がそれをざっと読んで「あなたが和歌をおろそかにしていなかったことは
よく分かりました」と答え、それを聞いて喜んだ忠度はまた都落ちに戻る。
後に俊成が千載集を編んだとき、忠度の和歌に良いものは沢山あったのに、
後白河法皇に叛いた朝敵だったため、平忠度ではなく読み人知らずの歌として、
   さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな
という一首だけが入選した。という、まさに「This is the Japaneseイイ話!」と
言っても過言ではないぐらいの国民的感動ストーリーである。
ところが、この本の注解者である水原一氏によると、この部分は
フィクションというか、文学的演出だった可能性が高いという。

和歌をめぐる師弟の感動的な物語であるが、当時和歌上で固定的な師弟関係を結ぶことは稀で、忠度も歌壇の大御所として畏敬する俊成に大胆に悲願を託したのである。対面も実際はこのように優雅なものではなかったはずで、都中が平家退去に連鎖して起りかねない狼藉を警戒しおびえていた。俊成邸も例外ではない。延慶本に、俊成が門を開くことなく「ワナナクワナナク」立ち出でて、忠度は門越しに言葉をかけ、巻物を「門ヨリ内ヘ投入テ」去った(朗詠もない)というのが実際の情況に近いであろう。

とのこと。
ふーむ。それだと確かにあまり優雅とは言えませんなあ。
けど、改めて想像してみると、この投げ入れバージョンも、
それはそれでまたリアルと言うか、ハードボイルドと言うか、
ある意味では立ち話バージョンよりも感動的と言えるかも知れない。
まあそれはともかく、今度平家物語を映画化またはドラマ化する時は、
平忠度オダギリジョー藤原俊成緒形拳ぐらいの豪華配役で
この場面を感動的に再現して欲しいものである。間違っても、
平忠度反町隆史藤原俊成伊武雅刀 とかではイヤである。納得。