梅佳代の「男子」について

立川の本屋で梅佳代の「男子」が置いてあったので見てみた。
一見しただけで、コンセプトは荒木経惟の「さっちん」のパクリと分かる。
「さっちん」に出てくる子供たちのように、「男子」の被写体の男の子も
みんな異形である。具体的には変顔をしているわけだが、「さっちん」に
出てくる子供たちから受ける印象とは大きく違う。
一口に言うと、「男子」の男の子たちの表情はわざとらしいのだ。
はっきり言って、イヤな感じなのである。
「さっちん」の子供たちが、いくらわざとらしくても、貧乏臭くても、
みんなかわいく見えるのに対して、「男子」の少年たちは端的にかわいくない。
この違いは決定的に大きい。なぜこうまで違ってしまうのだろうか。
基本的には、時代が違うということだろう。
日本全体がまだおおらかで楽観的だった昭和30年代と現代とでは、
子供たちの可愛さそのものが深い部分で変質してしまったと考えられる。
自分のアイドルオタク時代の経験に照らしてみても、子供のわざとらしさを
かわいいと感じるには、子供の純真さへの信頼が必要なのだが、現代では
この信頼を前提にすることがひどく難しくなっているのが現実だろう。
その現実に目をつぶって、「やっぱ男子は最強だよねえ」と
すらっとぼけてる梅佳代自身のわざとらしさがこの写真集の最大の敗因である。
現代の日本の子供を被写体にして「さっちん」に匹敵する傑作を
創るためには、この梅佳代とは全く別の感性と技術が必要であろう。