NHK歌謡ステージ阿久悠特集

これは好企画、内容充実の素晴らしい歌番組であった。
野中浩之さんが構成を手がけたようだが、会心の仕事となったことだろう。
まず、都はるみの「北の宿から」から森田公一の「青春時代」まで、
選曲が良かった。この間は阿久悠ダメと書いてしまったが、今日聴いたら、
良い歌も結構あった。あと、出演者のパフォーマンスも総じて良かった。
とくに山本リンダの「どうにもとまらない」は感動的だった。
30歳であれだけ踊れる安室奈美恵も偉いけど、57歳であれだけカッコ良く
歌い踊れる山本リンダもかなり偉いと思う。桜田淳子の「私の青い鳥」は
今日は松浦亜弥が歌ったが、意外にも鈴木愛理より良かった。見ながら、
桜田淳子から松浦亜弥まで、正統派アイドルの伝統は確かに生きていたのだなあ、
という感慨に襲われた。あややは「学園天国」も歌ったが、これも良かった。
一番良かったのは、八代亜紀の「舟唄」だった。元から好きな歌だったが、
今日の八代亜紀は入魂の歌唱という感じで、聴いててジンときた。
逆に五木ひろしは良くなかった。五木は阿久悠との縁も薄かったはずだ。
森昌子が出てたから無理だったのだろうが、できれば森進一に出て欲しかった。
そして「北の蛍」か「さらば友よ」を歌って欲しかった。
阿久悠の回想ビデオも流れたが、「時代を思い出す扉が歌であって欲しい」
という言葉には考えさせられた。実のところ、歌を扉として思い出せる時代は
昭和までだろう。阿久悠は全くもって昭和の作詞家だったと思う。
それはまだ日本の家庭の大半が大晦日にはレコード大賞紅白歌合戦
見ていた時代であった。言い換えればそれは大衆(mass)の時代であった。
もちろん今日でも大衆は存在するが、それはもはやmassではなく断片である。
マスとしての大衆をターゲットにしていた阿久悠が、ある時期以降、どんどん
断片化していく日本人の心情をとらえられなくなったのは不思議ではない。
また、最初から断片化された個人の視点で書いていた松本隆の方に、十代の私が
より強く共感を覚えたのもまた自然なことだっただろう。阿久悠の死は、
謡曲の時代の終わりと言うよりも、大衆文化の時代の終わりを象徴している。
それでも、彼の作った曲の幾つかは、孤独な大衆の渇いた心を慰め続けるだろう。