百人一首に歌われた橋口恵莉奈さん

晩秋の候、えり〜なを想いながら夜の月を眺めていると、ふと、
もののあわれを感じたりもする今日この頃。
平安時代歌人たちなら、こんな気持ちをどう歌に詠むのだろう。
2,3の例を考えてみた。筆者の口語訳・解説と併せてご鑑賞ください。


えりな見ての 後の心に比ぶれば 昔はものを思はざりけり
訳) えり〜なと出会ってからの恋心と比べれば、以前の恋心などは
何も想っていなかったようなものだなあ。
解説) 海千山千のヲタである作者(藤原敦忠)は、数々のアイドルを
遍歴してきたけれど、えり〜なの可愛さは過去のどのアイドルよりも
はるかに勝っており、推しの想いも格段に深い。敦忠一流の
反語的な修辞に隠された、えり〜なへの熱い愛情を読み取りたい。


小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの えりな待たなむ
訳) 小倉山の峰の紅葉よ、もしもお前に人間と同じ心があるのなら、
もう一度えり〜なを見れるイベントがあるまで散らずに待っていて欲しい。
解説) この歌は、作者である藤原忠平が、京都の小倉山で行われた
キャナァーリ倶楽部のイベントを宇多上皇と一緒に見に行ったところ、
あまりにもえり〜なが可愛かったので、ぜひ醍醐天皇にも見せたいと
思って詠んだ歌である。紅葉をも凌ぐえり〜なの可愛さ。まさに幽玄である。


わたの原 石丸かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ キャナの釣舟
訳) 広い海原を、石丸ソフト2目指して旅立ったと、知人たちには
伝えてほしい。実際は、近場の無料イベントにしか行かない私ではあるが。
解説) 本当ならえり〜なの出るイベントには全部行きたい。しかしながら、
体力・気力・経済力などの不足から、立川や新座のイベントにしか行けない。
そんな非力な作者(小野篁)のやるせない嘆きと悲しみが印象深い歌である。