なぜ、時は経つのか?

少し前にキャナァーリ倶楽部のおっきゃんがブログで次のように
書いていた。

私、前から気になってた(?)
調べてみたい(?)ことが
あるんです(・ω・)

[何故、時は経つのか。]
[何故、時が経つのは早い、と感じることがあるのか。]

すごいわかりにくいんですが
前からとても疑問に
思ってます(´・ω・`)

思春期の一時期に、ふとこういう哲学的な難問を考えてしまうのは
珍しいことではないと思うけど、アイドルがブログで時間への
根本的疑問を表明する例はあまりないかも知れない。
時間の起源についてはもちろん諸説あるわけですが、
私が信奉しているのは進化論がらみの説。簡単に言うと、
人間がまだ食糧の確保と生殖以外の目的を持たなかったころ、
気候の違いによって食糧の獲得に有利な時期と不利な時期があることを
認識した。そしてこの2つの時期の差異の認識から時間の意識が生まれた。
これは時間意識の起源であって、時間そのものの起源の説明ではないが、
私は時間とは客観的実在ではなく、一種の観念だと思っているので、
時間の起源論については、この説明でほぼ足りてしまっている。
この説の良い点は、現代人の時間感覚にも適用できることだ。
現代では対象は食糧に限らないが、一般に自分に有利な時と不利な時の
差異の認識と時間意識は深く関係しているように思える。
たとえば女の子の場合だと、今の若い自分と未来の年老いた自分を対比させて
人生を考える時に時間を意識するケースが多いだろう。人間全般で言えば、
自分が生きている時(有利)と死んだ後(不利)の差異の認識を契機に
時間を意識することが多いはずである。また、歴史意識なども、
ある国家や文明にとっての良い時期と悪い時期の差異の認識から
発生してきた観念のように思える。アイドルヲタクが、自分の好きな
アイドルが加齢とともに劣化したと認識する時にふと無常を感じるのも、
同じ原理から発生する現象であろう。逆に、価値の差異の消滅、
たとえばキリスト教のように神という唯一絶対的価値の存在を仮定する
思考においては、終末論すなわち時間の終わりを想定せざるを得なく
なるようだ。仏教も輪廻転生からの解脱として非時間的な理想を想定している。
いずれにせよ、大事なのは、時間を忘れる技術を磨くことであろう。
つまり、損得を考えず何かに熱中する時間を出来るだけ多く持つことである。
その意味では、ボンブラのライブにはもっと積極的に参加すべきなのだが、
つい「平日夜の壁」に負けて回避しがちなのは、誠に遺憾である。
女祭も次回でラスト。今度こそ、何としても参加したい。
高尚なテーマの割にはヲタ的な結論になってしまったが、この差異から、
おっきゃんが時間の謎を解く鍵を発見してくれれば幸いです。納得。