SCK GIRLS in 朝日新聞
昨日から朝日新聞の朝刊でSCK GIRLSが紹介されている。
芸能面ではなく、経済面の「けいざい心話」という4回構成のコラム。
第1回の昨日は、よくあるマイナーアイドルの苦労話っぽい内容で、
あんまりピンとこなかったけど、今日のは地味にグッときた。
やや長くなりますが、全文を転載しておきます。
「SCK GIRLS」がデビューする2011年秋、ネットでこんな中傷の書き込みが
飛び交った。「なんでも同情買おうってのは間違ってますよ」。SCKのはじまりは、被災地の気仙沼に全国から寄せられた支援物資だった。
地元の有志30人ほどが、被災者に届けるうちに「助けてもらうだけでは
申し訳ない」と思った。震災から半年たったころ、有志のひとり、保険代理店をいとなむ
阿部健一が「アイドルグループをつくろう」と言い出す。
メンバーを募集すると、地元の小学生から高校生まで10人ほどが
集まった。グループ運営の代表には、阿部がなった。阿部は、プロモーションビデオのなかで当時の心境を語る。
「子どもたちの心の復興をめざして、笑顔をとりもどしたかった。
それを見ている大人たちにも、笑顔をとりもどせるはず」。デビュー曲「ありがとうの言葉」の作詞作曲は、佐藤健(36)。
地元写真館のカメラマンで、ロックのギタリストとしてプロデビュー
したこともある。大津波に祖父母や知人をのみ込まれた佐藤は、
「笑顔を取り戻す」という阿部に共感した。移動のときの運転手役を
買って出るなど、阿部たちと行動をともにした。少しずつ共感は広がり、東京から駆けつける熱烈なファンもできた。
心ない書き込みも目立たないようになった。だが、メンバーの父のような存在だった阿部は、悪性リンパ腫に
むしばまれていた。それを隠さず、宮城の各地、岩手、山形。
毎週末のようにあるイベントのほとんどに阿部はつき添った。
「おれには時間がない」。佐藤は、阿部の姿がそう言っている
ように思えた。この夏、入院していた阿部が危篤、の知らせを受けた佐藤は、
リーダーの高橋里瀬と病院に見舞う。かろうじて意識があった阿部は、
点滴を打つ手に携帯電話をにぎっていた。子どもたちの情報を
チェックするためだ。8月17日、阿部は、51歳で逝く。その日の午後、SCKは宮城県の南の端、
丸森町でステージを予定していた。気仙沼のコンビニに集まった
メンバーに、佐藤は阿部の死を伝え、「きょうはキャンセルしてもいいぞ」
と語りかけた。だが、誰もキャンセルを申し出ず、車で南へ。
泣いていた彼女たちは、精一杯の笑顔でステージに立った。阿部の遺志を継ぎ、代表になった佐藤は語る。「決して試練に負けないことを、
世の中に発信しつづけます」。佐藤にとっての試練は、彼女たちがデビューして3か月ほどたったころ。
初のCDをつくりたいが、お金はない。そんなとき、業界で知らない人はいない東京の音楽プロデューサーから、
思いがけない申し出を受けた。
被災地の少女隊:2 「父」失ってもステージに立つ
http://www.asahi.com/articles/DA2S10887512.html