スティーブ・ジョブズI・IIの感想

スティーブ・ジョブズ I・IIセット

スティーブ・ジョブズ I・IIセット

今日、スティーブ・ジョブズの伝記を読了した。
とても良い本だったので、簡単に感想を書いておきます。

最初、ジョブズの伝記が自伝ではなく評伝の形で出ると聞いたときは、
「えー、自伝の方がいいのにぃ」と思ったが、結果的には評伝でよかった。
事実と意見、称賛と批判のバランスがとれた信頼できる伝記になったからだ。
今日の朝日新聞の書評欄で山形浩生が、ジョブズ個人を超えた天才への
普遍的な視点を出せずに終わっていることを残念がっているが、それは
高望みに過ぎないというか、そもそも期待の方向が間違っているように思う。

とはいえ、山形さんの指摘にも正しい部分はある。
本書には、細かなエピソード以外に新しい知識や発見はないことだ。著者の
ウォルター・アイザックソンが丁寧な筆致で描き出すスティーブ・ジョブズは、
基本的には、従来いろんなメディアで伝えられてきたジョブズ像と同じである。
従って、ジョブズにまつわる様々なエピソードを面白いと思えるかどうかが、
本書の評価の分かれ目になるだろう。私自身は、それらを面白いと思った。
特にジョブズの変人ぶりを物語るエピソードに面白いものが多い。
なかでも一番笑ったのは、がんの再発で入院中の次のエピソード。

最高の医療と看護とで大事にされていたにもかかわらず、ジョブズ
爆発しそうになることがあった。ほとんど意識がない状態でも、強烈な性格は
必ずしもおさまらなかった。たとえば呼吸器科の医師がマスクをつけようと
したときは、大量の鎮静剤が投与されていたのにジョブズはマスクをはずし、
こんな変なデザインのものは身につけないとつぶやいた。まともに口が
きけない状態なのに、「デザインの違うマスクを5種類持ってこい、
そうしたら気に入ったデザインのものを選ぶから」と言うのだ。

ははは!(^o^)  こういう人は長生きできませんわ(笑)

本書を読んで私が一番感動したのは、ジョブズが創造に関する自分の考えを
率直に語った部分。少し長くなりますが、またおそらく他の多くのブログでも
すでに引用されているとは思いますが、私もその部分を引用しておきます。

何が僕を駆り立てたのか。クリエイティブな人というのは、先人たちが
遺してくれたものが使えることに感謝を表したいと思っているはずだ。
僕が使っている言葉も数学も、僕は発明していない。自分の食べ物は
ごくわずかしか作っていないし、自分の服なんて作ったことさえない。
僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれている
からであり、すべて、先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。そして、
僕らの大半は、人類全体に何かを加えたいと思っているんだ。それはつまり、
自分にやれる方法で何かを表現するってことなんだ----だって、ボブ・ディラン
の歌やトム・ストッパードの戯曲なんて僕らには書けないからね。僕らは
自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。僕らの
先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。
そして、その流れに何かを追加しようとするんだ。
そう思って、僕は歩いてきた。

「ハングリーであれ、馬鹿であれ」と説いたジョブズは、彼自身、卓越した製品を
創り出すことに誰よりも貪欲であり、また公私両面で時に馬鹿な振舞いにも及んだ。
しかし少なくとも創造の神の前では、彼は常に謙虚であり、賢かった。
その真摯さが、ジョブズが天才であり続けられた本当の理由なのかもしれない。